大西マサエのページ |
||
岡山県岡山市在住 |
||
プロフィール
|
2002年 詩集―BMA−琵琶出版 開始 2004年 岡山市芸術文化振興事業「島展」参加 「次世代の写真家展」 (大阪)出品 |
|
|
|
|
天プラセレクション 「大西マサエ展 〜日常とは斯くも美しき虚構〜」 レビュー 平成22年3月16日(火)〜21日(日) 岡山県天神山文化プラザ 山上高人 ■大西マサエさんは、岡山写真研究会に所属し、「老い花」「Mr.Dandy」等の作品を発表してきた。身辺の事象に自分の内面を投影する方法で作品を作る、岡山では他に類を見ない独自の作風を持つ写真家である。彼女の日常は、「生きる」ということが静かに「終末」に向かうことであると実感されるような「如何ともしがたい現実」の中にある。作品はすべてこの虚構とも思いたい重い現実の深淵から生み出される。大西マサエ展「日常とは斯くも美しき虚構」は、そのような作品の1つの集大成ともいえる展覧会であった。 ■「日常とは斯くも美しき虚構」は時間の流れと終末を意識した作品である。空き缶や地面など日常の何気ない光景の間で、「花」や「葉」に朽ちる命を見ながら、「木」や「水」に夢を感じ、「遺言」と題される枯れて腐る花に終末をイメージさせる。しかし、最後には、深い感情を込めない力みの抜けた光景を感覚的に見せ、終末の後にも日常が続くことを示している。これらの光景は、彼女の心を写したものであり、彼女自身を写したものである。彼女は、こうした虚構とも思いたくなるような儚い日常に美しさを感じている。これは、「如何ともしがたい現実」と正面から向き合っているからであり、後ろを向かず前向きに生きていることを意味する。大西さんにとって写真は、日常に自分を投影し美を見出すものであり、前向きに生きることである。この作品には常に終末の意識がつきまとうが、終末のイメージの後にも変わらず日常が続いていたことは、明日への意欲の表れであり本当によかったと思う。 ■大西マサエさんは自分の内面を写す写真家である。表現方法は間接的・比喩的で、写真は深くて重い内容を持っている。それは、誰にでもポピュラー(よく理解でき平易)なものではなく、写真というよりアートの世界に開放されるべきものかも知れない。今回の作品につけられた詩に、「悪足掻きもいいさ、往生際も悪くてね。さっと散りたいもんだ、なんて格好つけていいながら、本当はみんな弱虫なのさ。枯れてなおととのおうとしてね。」というのがある。彼女はまだ本当の自分を描ききっていない。そして自分でもそのことに気が付いている。こうした中で、この先彼女がどのような方向に向かい(どのように自分を表現し)、どのような作品(世界)を見せてくれるのか大変楽しみである。今後益々目の離せない写真家である。 写真家、大西マサエさんの作品展 (天プラセレクション) RSKニュース 平成20年3月16日 岡山市在住の写真家、大西マサエさんの作品展が、岡山市北区の天神山文化プラザで開かれています。大西さんは15年前から独学で写真を始め、今は岡山写真研究会で活動を続けています。 作品は、大西さんが日常生活の中で美しいと感じたものを撮影したもので、60点の作品にはそれぞれ詩も添えられています。 「それは特別な日ではなく、何処かの誰かの死も聞こえやしない晴れの日だ」 人生の終末に向かう様子を、悲しみだけでなく、そこに大西さん独特の感性を表現しています。 大西さんの作品展は、天神山文化プラザで3月21日まで開かれています。 天神山文化プラザ・ピックアップレビュー |
||