第9回 岡山写真研究会・岡山展
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父の仕事の関係で、少年のころ、住所を転々として、学校もいくつか変わり、ある学校は、ダムの中に消え、10年に一度ぐらい姿を見せ、又ある学校は、廃校になり、昔の面影はなく、荒れ果てた姿で出迎えてくれた。 |
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ふるさとは、遠くに去ってもはや誰もいないし、何も残っていない。わずかに手元に残る映像をつなぎ見ながら、時計を逆に回して、もどかしくも思いに耽ってみる。と、この映像が語りかけてくるものは、私独りのふるさとではなく、『ふるさと』の原風景に思えてくる。 |
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朝と昼下がりの光あふれる街をひたすら歩きながら、その光の中に現れた世界を撮り続ける。そして常に刺激と新しい感性を与えてくれ、そして緊張感を持って撮影できたことに感謝したい気持ちである。 |
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人にはきっと、それぞれ大好きな空があると思う。輝く高い空や、広く遠い空。私にも大好きな空の様子がある、それはきっと自分に似た空だ。しかしそれらは、私にしか見えない空なのかもしれないと思うことがある。セルフポートレートを撮るようにそんな空を、追ってみた。 |
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スーパーマーケットは日常生活に欠かせない。生活必需品のすべてが、博物館のようにたくさんある。何でも買える便利さは、他に代わる物がない。老若男女を問わず人があふれ、現代のコミュニティーでもある。しかし、このスーパーマーケット全盛の裏側で、日本古来の商店街がいくつも消えたことを、忘れてはならない。 |
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今年も、いつも通り、何も変わる事無く、岡山の町を歩き回り、ありのままに撮影しました。瞬く間に大きく変わってしまったり、よく観ないと見落としてしまいそうな小さな変化が、沢山ありました。新しい物を見つけては無くし、無くしては見つける、と言う事の繰り返しでした。そんな町の変化が、いつも心地よい刺激をもたらしてくれます。病み付きになっています。こんな中で、見つけた町の景色を味わって頂ければと思っております。 |
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我家には春が棲んでいます。桜が咲くころ出てきます。桜の上も家の中も庭ももや〜つとした春で満たされます。桜が終わるとどこかでおやすみです。 |
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