第23回岡山写真研究会・倉敷展 後援 倉敷市教育委員会、倉敷市文化振興財団、山陽新聞社、山陽放送、OHK岡山放送、RNC西日本放送、倉敷ケーブルテレビ、玉島テレビ放送、カメラのキタムラ、山陽リビングメディア 受付当番
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「ヤマ」 前原耕二 民俗学者の柳田國男は『先祖の話』の中で、亡くなった人の霊は、近くの山など静かで清らかな場所に行って和やかな霊になり、ある年限から後はご先祖様というひとつの尊い霊体に溶け込んでしまうと書いています。 |
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「目を見つめ」 森本俊生 玉野市にある渋川動物園は、自然のままの野山を、散歩しながら動物たちとふれあえる動物園である。動物たちも、自然を満喫しているがごとく、カメラを近づけても動物たちの目は、やさしく作者に接してくれていた。今までの作品は、街中の人物写真を撮ってきたので、動物だけを作品にしたのは、今回初めての経験で新鮮な作品になった。 |
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「いりふねの道3」 渡邊幸雄 昨年も紹介しました通り、いりふねの道は、倉敷市船倉町の入船橋下流部の「親水広場」から倉敷市粒浦の「芝生広場」までの約4qの倉敷川沿いの歩道です。この道は倉敷川の川面、川沿いの公園、田園、グラウンドゴルフ場、神社等、人と自然が触れ合える絶好の空間となっています。私はコンデジカメラをお供に毎日散歩しています。お散歩中に撮影した写真の一部をここに紹介させていただきます。 |
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「光子もつれ」 山上高人 カメラのレンズを自由に動かし光点を撮ると、光線ができて複雑に入り乱れて秩序を失いもつれ、非現実のアートの世界が出来て面白い。 |
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「島での一日」 西井明生 笠岡港からフェリーで白石島に渡り、島を南北に連ねている山を歩き、島を半周して帰りました。尾根は整備されており高い木が無くて、瀬戸内海の島々の展望が良くまた尾根筋には奇岩も沢山あり飽きることなく一日中ハイキングを楽しむことができます。 |
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「矢を射るが如し」 摩利支天 スマホ片手に東京のいたる所、自分の「目を射た物」を次々に撮り歩く。何故それを獲った(撮った)のかと言うと、そこに標的(被写体)があったからだ。 |
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「ナニ・コレ!」 伊井嬢子 見慣れたものちょっと(ぼかして)みた。なんな面白い。(ぼけ)を利用してそれを作り出すのもいいかなあ! |
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「奥能登に咲く」 田中瑛三 それは、地震の3か月前の光景。最果てで紡がれる、人と芸術と夢と。 |
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「桜紀行」 窪津康祐 寒さも次第に収まり、次々と桜が咲き始める春。桜が開花したと思えば、満開になり、すぐに散ってしまうもの。写真を撮るものも慌ただしくなるのはいつの時代も同じ。 |
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「記憶の街 U 石見町界隈」 吉原秀樹 石見町界隈は、チボリ公園、アウトレットと大きな開発に隣接し、今は区画整理でその姿を変えようとしています。私が気付いた時には、もう昔の様子を留めてはいませんでした。カメラを片手に、記憶を辿りながらシャッターを押しました。 |
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「Amerikamura」 道城謙治 大阪・アメリカ村、そこは若者の街。道頓堀や心斎橋にほど近く、若者文化、トレンドの発信地になっている。新陳代謝の周期が短いためか、何度行っても新たな発見がある。スナップしながら脳活するにはちょうどいい。 |
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「藤戸散策」 吉元利文 春は河津桜にツーデーマーチ、夏は沙羅双樹、秋は源平史跡巡り、冬は倉敷川の鴨と鯛焼き、今少しずつ写真を撮っています。 |
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